キャラメル

舞台はレバノンの首都ベイルートの今。

アラブ人、西洋人、またムスリム、クリスチャンが混沌と行き交う街。

街はすっかり現代的な都会であり、若い娘は恋人が携帯電話を鳴らしてくれるのをひたすら待っている。
ぶるぶると震えたら、親をはばかり風呂場で声をひそめる。

そんな街の片隅、小さな美容院に関わる5人の女性たちの悲喜こもごも。

恋が不倫であることを親に秘し板挟みに苦しむ美容院の女主人。
処女ではないことを新郎に告げられず悩むムスリム女性。
老いらくの恋と姉の介護の間で揺れる老婆。
客といい感じになるレズビアン

東洋的・アラブ的な価値観と、現代的な自由や女性らしさへの解放を望む気分との間で葛藤する女性を描く、というのが軸。

ヒロインたちがお互いを思いやりあい、とても仲が良いのが良い。安っぽく嫉妬やいさかいをさしはさんで、それを脚本のアクセントにしたりしないことで、ひとりひとりが真摯に自分の問題と向かい合うまっすぐさ、ひたむきさが際立っているように思う。


また、丁寧な群像劇を展開する一方で、女性が女性美を賛美し、主張する映像の手法は、実に古典的で骨太。
これが映画に安定感を与えてくれる。

黒髪や流し目、胸や脚。
長い睫毛を瞬かせて、
しっかり見栄をきってくれる。

女性が女性美を描くとき、フェミニズムや女から見たカッコイイ女、強い女を意識するあまり、エロスやセクシーさを削ぎ落としてしまう場合がある。

しかし本作は女性の魅力には(オトコ目線の)エロさも美しさも含まれているということを、「ありのままに」伝えているという感じ。

その目線はある意味、少女が隣のきれいなお姉さんなど大人の女性に憧れる純一無雑な目線に似ているようような気がする。

このような基本姿勢の素朴さやシンプルさ、昔ながらの健康さが、女性の描き方や作品そのものに、結果としてなんだか品の良いきれいさを支えている気がする。

別な言い方をすれば、女性を描く上での無駄な力みがないので、ドラマが世界中で共感を呼んだのだろう。

それは男が作った映画を見慣れているのが、世界中の現在の女性たちの現実であるからなのでもあろう。良きにつけ悪しきにつけ。


他方、何か新しいものを描きたい、という夢に、しっかりと伝統的な手法を身につけた若者が挑んで行くという姿を、この映画自体が伝えている気がする。

それは主演、監督、脚本を担当した「アラビアン・ビューティー」ナディーン・ラバキーの姿なのかも知れない。

ますますの活躍に期待。


映画公式サイト
http://www.cetera.co.jp/caramel/


おくりびと」がとった2008年アカデミー外国語映画賞レバノン代表作品。